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深夜に誰かに語りたくなったことを、だらだらと書いています

教師の母が早期退職した

母の日のプレゼントを初めて買ったのは、大学生になってからだった。実家を出て一人暮らしを始めたこともあり、母の日のプレゼントを贈るようになった。ありきたりではあるが、一人暮らしをしたことではじめて親のありがたみを理解したからだ。

社会人になった今でも母の日のプレゼントは毎年贈っている。ネットが進化したこともあって、デパートに行ってわざわざ選ばなくても、楽天の母の日プレゼントランキングからそれっぽいものを選ぶだけになったが、電話は毎年している。

 

母は小学校の教師だった。母の家庭は非常に貧しく、六畳一間に家族4人で住んでいた。そんな母の小さな時からの夢が小学校の教師になることだった。母が小学校の時には、既に先生のなるのが夢だったらしい。

そんな母は、夢に向かって、一生懸命に勉強をした。その結果、奨学金をもらい、大教大に進学する。その後、念願の小学校の教師になった。

高校時代にフラフラ遊んだ結果、浪人をして大学に進学した自分を思うと、恥ずかしくなる。

 

私が覚えている範囲ではあるが、小学校の教師の仕事は非常に忙しそうだった。傍から見ていた私は、絶対に教師にはならないと思った。

私の母が非常にマジメで優しかったこともあり、多くの親からよく相談の電話がかかってきていた。特に中国人の親や水商売をしている親からの人生相談の電話は長かった。もちろん、授業の準備にも非常に時間をかけていて、その時々のクラスのレベルに合わせて準備をしていた。毎日、朝の7時には家を出て、19時半ごろに家に帰って食事を作り、再び仕事をしていた。いつも22時や23時まで仕事をしていた。しかし、一度も母から仕事の愚痴を聞いたことはなかった。

そんな教師に残業代が出ないと知った時は、とても驚いたし、日本の教員制度は教師の善意におんぶにだっこだと思う。

 

そんな母が教師を早期退職した。

最初に聞いたときは非常に驚いた。58歳での退職だったので、残り2年働けばというところだった。いろいろとあったのだろうと想像はする。愚痴も漏らさなかった母が、最期の頃は、教師の仕事がどんどんやりにくくなると言っていたから。

学校で発生するイジメ、不登校、教師の不祥事など、多くのネガティブなニュースが世間を騒がせていた。更に追い打ちをかけるように教師の給料の引き下げ。教師に対する世間の目も厳しくなり、現場で働きにくくなったのは事実だろう。

「教師になるべきではなかったかもしれない。」

小さい頃から小学校の教師を目指して、教師は天職だと語っていた母が、最期にそんなことを言った。よほどのことがあったんだろう、そう想像する。

 

今では定年した父と一緒に、国内、海外旅行を満喫している。小さい頃の貧乏性が治らず、今までほとんど金を使ってこなかったので、ここぞとばかりにいろいろと楽しんでいる。それでも日常生活は非常に慎ましいが。

教師は辞めて定年後の生活を楽しんでいる母ではあるが、今でもそんな母に、当時の生徒や親から年賀状が毎年届く。当時の生徒は、既に子供が年齢の社会人ばかりだ。今でも母は彼ら彼女らにとっては先生である。

そんな偉大な現場の教育者である母が私には誇らしい。本人に言ったことはないが、自分の人生を日本国の教育に捧げた母を尊敬している。

 

今年も母にプレゼントを贈り、電話をした。最近旅行で行った屋久島の話をしていたが、母もいつまでも元気なわけではないので、しっかりと親孝行をしたいと思う。